プロフィール

セプテム総研 初代 代表取締役社長
森川 藤凰博士[ 1929-2017 ]

  • 医学博士 (専門:皮膚科・薬理学)
  • 米国皮膚科学会生涯会員
  • 日本ハーバード医学協会会員
森川 藤凰博士の写真

人が本来持っている力を引き出し、肌本来の機能を取り戻すことを目指した化粧品開発に生涯をかけた研究者です。
幼少期より植物の持つ不思議な力に興味を抱き、学生時代に学んだ漢方や生薬の知識は、エルテオの前身であるエルテの開発に大いに活かされました。
人工的な美しさではなく「健康で内面的な美しさ」を追求し、つくりたいものを決してあきらめない、妥協しない姿勢は現在のセプテム総研にも受け継がれています。

▶ 主な研究

オレゴン大学環境医学センターにて、環境医学、「化粧品の安全性」および「かぶれ」を研究。ハーバード大学皮膚科にて、日やけ、シミ、光過敏症の研究をおこない、1972年にSPFの概念を発表し、日本に導入。スウェーデン・ヨーテボリ大学皮膚科にて「国際標準パッチテスト」皮膚アレルギー試験法を研究。

エルテオの写真

森川博士が登場する
「エルテオ」についての動画はコチラ
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ルーツは「母の愛」と「朝ドラのモデルにもなった植物学者

ルーツのイラスト
Roots

幼少期より、植物に興味を持っていた森川博士。
なぜ、植物の力に着目したのでしょうか?
そのルーツは2つありました。

樹木の体温はどれくらいだろうか―
小学2年生の森川博士は、こんな疑問を抱きます。
すると、母親が木の幹に錐で穴を開けて体温計を差し込んでくれたのです。
その方法で木の体温が計れるわけではなくとも、
ささいな疑問に真摯に向き合う母の愛が、
森川博士の植物への探求心を生むきっかけとなったのです。
その木は、イタリア語で「エルテ」と呼ばれるムクゲの木でした。

ムクゲの写真
▲ ムクゲ

第2のルーツは、牧野富太郎先生。
NHK朝の連続テレビ小説「らんまん」のモデルになった植物学者です。
森川博士が中学1年生のころ、
当時から世界的に著名であった牧野先生と会う機会がありました。
牧野先生は、理科の先生の集まりの中にひとりだけ子どもがいることに非常に奇異を感じたそうで、
のちに先生から「これから将来に向かって、和漢の本草書を勉強するように」という
励ましの手紙が届きました。
この出会いもまた、森川博士が植物へ強く興味を抱くきっかけになりました。

ルーツのアイコンのイラスト下
Roots

薬学から医学、そして化粧品業界

開業医であった森川博士の父は、早くに亡くなったため、ともに過ごした記憶や思い出はないといいます。特に医師を志していなかった森川博士でしたが、母は跡を継ぐよう願っていました。

そしてときは経ち、敗戦後の混乱する日本。森川博士は母の想いを受け、医師の道に進むために医大への進学を希望しましたが、その医大は一時募集停止に。
そのため、京都薬科大学で薬学を学び、卒業後に京都府立医科大学へ進みました。
修了後は同大学研究室に助手として残り、研究補助、大学講師、研究論文の執筆など多忙な日々を送っていたところに、転機が訪れます。

それは、日本最大手の化粧品会社の研究職への誘いでした。これまでの経歴とは全く異なる新天地での挑戦でしたが、森川博士は数々の功績を遺します。
今回は、代表的な2つの功績をご紹介します。

薬学から医学のアイコン

①国際標準パッチテスト法の開発

森川博士が世界に遺した研究成果のひとつが、「安全性を担保するためのアレルゲン検出を目的としたアレルギー反応試験」を簡易にできる手法に進化させたことでした。
これは、国際標準パッチテスト法として世界に広まり、現在でも化粧品など、ほとんどの美容・健康商品で推奨されています。

国際標準パッチテスト法の開発のイラスト

②「SPF」概念の普及

パッチテスト法の研究から派生し、取り組んだのが「光アレルギー」「光毒性」の研究でした。
現在では、日やけ止めの効果表示にSPFという言葉が当たり前に使われていますよね。
新しい光防御機能の指標として、森川博士たちハーバード大学の研究チームが、「SPF(サン・プロテクション・ファクター)」という言葉を使い始め、それがだんだん広まっていきました。
1972年、「光と皮膚」という国際会議において日本でも初めて「SPF」という言葉が使われます。もちろんその人物は、森川博士でした。

「SPF」概念の普及のイラスト

セプテムとの出合い

さらに、独自の研究によって太陽光を特定の波長で取り出す装置の開発に成功。この装置を活用した「特定波長光線による皮膚障害性」の研究で、『科学技術庁長官賞』を受賞したほか、数々の輝かしい経歴を持ち、皮膚科学会をけん引してきました。
そして独立し、個人の研究所を設立。
その後も米国皮膚科学会より生涯会員に推挙されるなど、その名声は続き、各メーカーから処方や教育への要請が途絶えませんでした。
また、数多く制作した学術映像が世界で評価を得たり、美容・皮膚の学術図書を出版するなど、精力的に研究活動をおこないました。

そんな中、1995年――研究者人生を集大成するべく関係を築く、セプテムプロダクツの山下社長との出会いが生まれたのです。

科学技術庁長官賞表彰状と森川博士の写真

▲ 科学技術庁長官賞表彰状と森川博士

米国皮膚科学会 生涯会員証の写真
▲ 米国皮膚科学会 生涯会員証